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福岡地方裁判所田川支部 昭和57年(ワ)36号 判決 1985年10月17日

原告

手嶋嘉津子

被告

小松清繁

ほか一名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は原告に対し金一〇〇万五二八五円及び内金九〇万五二八五円に対する昭和五四年一二月一一日から、内金一〇万円に対する昭和五七年五月七日から、各支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  右1につき仮執行の宣言

二  被告

主文第一項同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生

原告は次の交通事故(以下本件事故という。)により通院加療三七四日間(通院実日数は二一五日)を要する頸椎捻挫等の傷害を負つた。

(1) 発生日時 昭和五四年一二月一一日午前四時頃

(2) 発生場所 福岡県田川市大字伊加利三〇五番地先道路(以下本件道路という。)上

(3) 加害車 普通乗用自動車(北九州五五た二七一四号)

右運転者 小松清繁(被告)

(4) 被害車 普通乗用自動車(北九州五六た一二二六号)

右運転者 手嶋嘉津子(原告)

(5) 事故の態様 本件道路上を川崎町方面から大任町方面に向つて進行中の加害車が、前方を同方向に進行中の被害車を追越すにあたり、加害車と被害車の右側前部とが衝突した。

2  責任原因

被告は、本件事故発生につき、本件道路は福岡県公安委員会が道路標識等によつて追越しのため右側部分にはみだして通行することを禁止しているので、右側部分にはみだして追越しするのを差し控えるべき注意義務を怠り、交通閑散なことに気を許し、被害車と安全な間隔を保持しないで進路の右側部分にはみだして被害車を追越そうとした過失があつたから、民法七〇九条により本件事故によつて生じた原告の損害を賠償する責任がある。

3  損害

(1) 治療費 七五万二〇二〇円

(2) 通院雑費 八万六〇〇〇円

通院雑費を一日あたり四〇〇円とし、これに通院実日数二一五日を乗じると八万六〇〇〇円となる。

(3) 傷害の慰謝料 七三万円

前記傷害の治療に三七四日間要したから、慰謝料として七三万円が相当である。

(4) 休業損害 四二万五〇〇〇円

原告は本件事故当時原告の夫が経営するスナツク「メルシー」に勤務し、月二五万円の賃金を得ていたものであるが、本件事故により昭和五四年一二月一二日から昭和五五年一月三一日まで休業を余儀なくされたので、その損害は四二万五〇〇〇円となる。

二五〇、〇〇〇÷三〇×五一=四二五、〇〇〇

(5) 後遺症の慰謝料 五五万円

原告は後遺障害等級一四級の認定を受けたので、その慰謝料として五五万円が相当である。

(6) 後遺症による逸失利益 二二万七七六五円

前記のとおり原告は後遺障害等級一四級の認定を受けたものであるが、後遺症の継続期間は三年が相当であるから、それによる逸失利益は二二万七七六五円となる。

一三九、〇〇〇×一二×二・七三一〇×5/100=二二七、七六五

(7) 物損 八万四五〇〇円

(8) 弁護士費用 一〇万円

(9) 損害の填補 一九五万円

本件事故により、原告は被告の加入する自賠責保険から一九五万円の損害の填補を受けた。

4  よつて原告は被告に対し右3の(1)ないし(8)の合計金二九五万五二八五円から右3の(9)の一九五万円を差引いた金一〇〇万五二八五円、及び内金九〇万五二八五円に対する本件事故発生の日である昭和五四年一二月一一日から、内金一〇万円に対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和五七年五月七日から、各支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告の認否

1  請求原因1及び2の各事実は認める。

2  同3の事実は知らない。

3  同4は争う。

三  抗弁

1  被告

原告には、センターラインを越え右側部分にはみ出して被害車を運転していた過失があつたから、損害額の算定につきこれを斟酌すべきである。

2  補助参加人

(1) 本件事故は、次に述べるとおり、原告と被告とが話合いのうえ故意に作出したものである。そうすると、本件事故により原告が傷害を負つたとしても、右損害は、自己に存する不法の原因によつて生じたものであり、民法七〇八条の法の精神に鑑み、敢て保護するに値しないものといわなければならず、結局、被告が、本件事故による原告の損害について、民法七〇九条による不法行為責任を負ういわれはない。

イ 被告は本件事故当日、補助参加人に対して事故報告をしたが、その際、左記のとおり、時間も場所も態様も、その後になされた警察への届出とは全く異なる報告をしている。

(イ) 日時 昭和五四年一二月一一日午前三時

(ロ) 場所 田川郡川崎町大字川崎一九八番地

手嶋昭一方前路上

(ハ) 態様 駐車中の被害車が発進し始めたとき、後方より進行してきた加害車が衝突した。

そして原告も本件事故直後に日産プリンスに修理見積りに行つた際、同社の社員西田に対して「車を止めていて発進するとき事故にあつた」と述べている。

ロ 警察での実況見分の際に、原告も被告も、最初被害車の右後部と加害車の左前部が衝突し、次に被害車の右前部と加害車の左後部が衝突し、ガタガタと二度大きな音がしたと供述し、その後も警察の取調に対し同趣旨の供述をしていた。ところが補助参加人会社の事故調査員である古谷の調査により被害車の右後部の疵は本件事故直後はなかつたことが判明し、原、被告の右供述は全く虚偽であることが判明した。

ハ 被告は昭和五四年一二月一七日の実況見分の際、本件道路の右側路肩に大きな石があり、それに加害車の右後輪があたり、そのため被害車に二回接触した旨供述していた。そして原告の夫である手嶋昭一も同人に対する証人尋問の際被告の右供述にそう証言をしている。しかし、右実況見分の際も、またその後の古谷らによる現場確認の際も、右石の存在は全く確認されなかつたのである。結局、被告と手嶋昭一らは事前に話合いをして虚偽の供述をしたといわざるを得ない。

ニ 被告は、実況見分の際に右石が見当らなかつたことから、今度は石柱にぶつかりそうになつたのでハンドルを左に切つたため被害車に接触したと供述している。しかし昭和五四年一二月二四日古谷らが現場確認に行つた際には石柱の話は全くなかつたのであり、被告が後に作つた話であることは明らかである。本件道路は直線道路であり、幅員五・一メートル(加害車進行道路の幅員は二・六メートル、被害車進行道路の幅員は二・五メートル)もあり、車二台が余裕をもつて離合でき、かつ石柱は舗装面から更に一メートルも外側にあり、石柱に危険を感じるような状況にはない。

ホ 被告は検察官及び警察官に対し、また原告は警察官に対し、本件事故の一因として被害車が中央線を越えていたことを挙げているが、これは、原告自身の供述によつて明らかなように、原告と被告とが話合つて作出した虚偽の事実である。

ヘ 原、被告の各供述はもちろん、本件事故当時加害車に同乗していた大場勇ら及び被害車に同乗していた山本頼子らの各供述は相互に矛盾しており、いずれも全く信用性はない。

ト 原告の本件事故前後についての供述は全く信用できず、前記のとおり大場勇ら、山本頼子らの各供述とも矛盾している。そして原告は被害車の右後部の疵は寿司屋の駐車場でつけられたものであると供述しているが、その時期について「本件事故の一週間後」と言つたり、「本件事故の三、四か月後」と言つたり、極めてあいまいである。一方、原告の夫である手嶋昭一は本件事故の翌日か翌々日に日産プリンスの加治に対し被害車の右後部の疵につき修理の見積りの増額を要求しているのであり、原告がこのことを知らなかつた筈はない。このように原告の供述は全く信用できない。

チ 原告は当初の警察での取調の際は、加害者はあとで被告であることがわかつたと供述し、被告も原告とは全く別々に進行していて事故後原告であることがわかつたと供述して、ともに偶然の事故であることを強調している。また原告は吐気がしたといいながら本件事故当日病院で受診していない。むしろ原告は本件事故後寝ることもなく被害車の修理の見積りに行つているのである。そして補助参加人に対して原告は当初から新車の買替え要求と、代車を使用していないのに代車要求をし、被告の関係する修理工場の請求書を提出している。さらには全くでたらめの休業損害の請求を執拗に行なつている。原告は本来請求すべき被告に対しては、一切請求をしていないばかりか、示談屋と目される被告に対して、補助参加人に対する示談交渉を一任して、被告より補助参加人に対して前述の要求をしている。このこと自体原告が保険金目的であることは明らかであり、偽装事故といわざるを得ない。

(2) かりに被告が原告に対し損害賠償責任を負うとしても、前記(1)のイにおいて述べたとおり、被告は虚偽の報告をしている。ところで自家用自動車保険普通保険約款六章一五条一項には、正当な理由なく事故発生の通知、事故内容の通知の規定に違反した場合には保険金を支払わない旨規定されており、同条四項には事故内容の通知に故意に不実の届出をした場合には保険金を支払わない旨規定されている。従つて被告の右虚偽の報告は右一五条一項、四項に違反しており、補助参加人には被告に対する保険金の支払義務はない。

四  抗弁に対する認否

1  被告の抗弁に対し

争う。

2  補助参加人の抗弁に対し

(1) 抗弁(1)に対し

否認する。

(2) 抗弁(2)に対し

争う。

第三証拠〔略〕

理由

一  請求原因1の事実は被告の認めるところである。

二  そこで先ず、補助参加人の、本件事故は不慮の事故ではない、との主張(抗弁(1))について判断する。

いずれも成立に争いのない甲第四ないし第一二号証、丙第一号証、第三ないし第五号証、第二五ないし第四〇号証、第四二、第四三号証、第四八号証、第五〇ないし第五二号証、第五九、第六〇号証、第六三、第六四号証、いずれも補助参加人主張の写真であることに争いのない丙第五六号証の一ないし五、第五七号証の一ないし六、第五八号証の一ないし一五、証人天野禮次、同手嶋昭一、同古谷豪の各証言及び原告本人尋問(第一、二回)の結果並びに弁論の全趣旨(但し、甲第八、第九、第一一号証、丙第三四ないし第四〇号証、第四二、第四三、第四八、第五〇、第五一号証の各記載及び証人手嶋昭一の証言並びに原告本人尋問(第一、二回)の結果については後記採用しない部分を除く。)を総合すれば、次の事実が認められる。

1  原告は肩書住居地で夫の手嶋昭一(以下昭一という。)とともにスナツク「メルシー」を営んでいるものであるが、一方、昭一はスナツク「メルシー」の左斜向で喫茶「セイヤング」をも営んでいる。被告と昭一とは小学校時代の同級生であるところ、被告の自宅は喫茶「セイヤング」から歩いて八分位のところにあり、被告の妻がよく喫茶「セイヤング」に来たりして、原告と被告とは家族ぐるみの付合をしていた。そして被告は、昭和五四、五年当時、丸栄建設に建築主任として勤務していたが、他方、昭和五三年頃からいわゆる示談屋として交通事故に基づく紛争を示談により解決することにも携つていた。

2  本件事故後、原告は、被害車に同乗していたスナツク「メルシー」の従業員千田佐代子や、加害車に同乗していた大場力、大場勇を、被害車に同乗させ自らこれを運転してそれぞれその家に送り届けたりしたので、喫茶「セイヤング」に帰り着いたのは本件事故当日(昭和五四年一二月一一日)の午前六時三〇分頃か七時頃であつた。するとそこにはすでに被告が来ており、ここに被告と原告及び昭一との間に話合がもたれた結果、被告において直接補助参加人と保険金の支払につき交渉することにし、一方、警察への事故報告はしないことにした。そして補助参加人等への事故報告についても、発生日時を昭和五四年一二月一一日午前三時頃、発生場所を喫茶「セイヤング」前路上、事故の態様を「駐車中の被害車が発進し始めた時、後方より進行してきた加害車が衝突した」とする、全く虚偽の報告をすることが、被告と原告及び昭一との間に打合わされた。

3  かくして本件事故当日被告は補助参加人会社の損害調査の担当をしている古谷豪に対し電話で前記のとおりの虚偽の事故報告をした。一方、原告及び昭一は本件事故当日の午前一〇時頃日産プリンス福岡販売株式会社(被害車の買入先)に被害車で赴き、同社の係員に被害車の修理代の見積りや買替えの場合の査定を依頼したが、その際原告及び昭一は右係員に対し「車を止めていて発進する時に事故にあつた」などと事故の説明をしたりした。しかるところ、原告及び昭一が右見積り等を依頼した時点における被害車の損傷部分は、右前部バンパー、右前部フエンダー、右前部ドア、右後部ドアの前部のみであり、当然右見積り等も右損傷部位に基づいてなされた。ところがその翌日か翌々日(すなわち昭和五四年一二月一二日か一三日)突如昭一から右係員の一人である加治康之に電話で、被害車の右後部リヤフエンダーの損傷についても見積りがなされているか否かの間合わせがあつた(原告及び昭一が右見積り等を依頼した時点においては、被害車に右後部リヤフエンダーの損傷がなかつたことは、右記のとおりである。そうすると、右後部リヤフエンダーの損傷は、本件事故後おそくとも昭和五四年一二月一三日までに生じたものであろう。そうすると右損傷は本件事故とは何ら関係がないというべきである。このことを原告及び昭一が知つていなかつた筈はない。)。見積りに際し、入念に被害車の点検をした加治康之は、「見落したのであれば、ほんのわずかな傷であろう」と軽く考え、被害車の再点検をすることもなく当初の見積り額(なお、当初の見積り額は一〇万円であつた。)に二万三〇〇〇円を追加した。

4  しかるところ、原告は昭和五四年一二月一二日被害車を運転中吐気をもよおしたので、同日午後五時三五分頃、病院で診療を受けた結果、本件事故により加療約一〇日間を要する頸椎捻挫の傷害を負つていると診断された(なお、爾後の経過については、精査が必要であるとされた。)。そこで原告と昭一は被告とも相談のうえ、昭和五四年一二月一三日午後一時二〇分頃、昭一において田川警察署に対し、発生日時、発生場所、事故の態様等について真実どおり述べて、本件事故の届出をなした。右届出により、翌一二月一四日午前一〇時頃田川警察署署庭において加害車及び被害車の実況見分が行なわれ、その結果、加害車には、右最前部、左前部ドア(二か所)、左後部フエンダー(二か所)の損傷が認められ、被害車には右前部バンパー、右前部フエンダー、右前部ドア、右後部ドアの前部、右後部リヤフエンダーの損傷が認められた。また同年一二月一七日午前九時五〇分頃から、警察官により、本件道路において、原、被告立会のうえ実況見分が行なわれた。ところで、被告と原告及び昭一との間に、あらかじめ、本件事故発生時、被害車は、真実はそうでないのに、本件道路の中央線を越えて右側部分にはみ出して進行していたことにする旨の打合わせがなされていたので、右実況見分の際、原告も被告も、加害車が被害車を追越すため本件道路の右側部分にはみ出して進行したところ、いきなり被害車も道路右側部分にはみ出して来たことから、加害車はさらに道路右側路肩にはみ出さざるを得ない状態となり、そのため道路右側路肩に設置されていた石柱に衝突しそうになつたので、左に転把したところ、先ず被害車の右後部リヤフエンダーに加害車の左最前部があたり(しかし、右後部リヤフエンダーの損傷は本件事故後生じたものであることはすでにみたとおりであり、このことからしても、被告と原告及び昭一との間に真実と異なる事故状況の作出が打合わされたことは明らかである。)、さらに被害車の右前部バンパー、右前部フエンダー、右前部ドア、右後部ドアの前部に加害車の左前部ドア、左後部フエンダーがあたつたと指示説明した(なお、被告は、当初、加害車が道路右側路肩にはみ出した際、路肩にあつた大きな石に加害車の右後輪があたり、そのため右記のように被害車に加害車が衝突したと述べたので、警察官において右石の所在を確めたが、右石は発見できなかつた。そこで被告は「石柱に衝突しそうになつた」と指示説明を変えたのであろうか。)。また、原告も被告もともに、右実況見分の際、警察官に対し、本件事故発生直前まで相互に相手車両がそれぞれ原告及び被告の運転する車両であることに気付かず、本件事故の後に、相互に、それぞれ相手車両を運転していたのは原告及び被告であることがわかつたと説明した(しかし、原告と被告とが、それぞれ被害車と加害車に千田佐代子らと大場力らを同乗させてこれを運転し、被害車が先行しその後に加害車が追随してともに「富士サウナ」に向かつて進行していたこと、及び原告は追随車が被告の運転する車両であること、一方、被告は先行車が原告の運転する車両であること、をそれぞれ十分認識していたことは本件証拠上明らかであり、何故原告と被告とが右事実を秘し、ことさら本件事故発生直前まで相互に相手車両がそれぞれ原告及び被告の運転する車両であることに気付かなかつたということにしたのか、全く理解に苦しむところである。)。

5  ところで、被告から補助参加人に対し昭和五四年一二月一一日内容虚偽の事故報告があつたことは、すでにみたとおりであるところ、その後の同月二一日補助参加人会社の古谷豪が喫茶「セイヤング」で昭一と話合つた際、昭一ははじめて右古谷に対し被告の右事故報告は内容虚偽のものであることを明らかにした。右古谷はその日被害車の写真をとつたりしたが、本件事故に基づく損害の賠償については、昭一において一方的に右古谷に対し、スナツク「メルシー」の休業損害の賠償、新車の買替え、代替車借入費の支払等を要求してきた。その二日後の同月二三日、右古谷は、再び喫茶「セイヤング」で、筑豊損調サービスの経営者である天野禮次とともに、原告、昭一及び被告と話合つたが、その際も、原告、昭一及び右古谷らに対しスナツク「メルシー」の休業損害の補償について何ら具体的根拠のない額を提示したり、また何ら代替車の借入はしていないのに、代替車借入費の支払を求めたりした。その日右古谷らは、喫茶「セイヤング」において被告及び昭一から本件事故の状況についておおよその説明を受けたが、それによると、加害車が道路右側路肩の石に乗り上げたため、ハンドル操作を誤り、被害車に衝突したということであつた(加害車の右後輪が道路右側路肩にあつた石にあたつたことを裏付けるに足りる客観的証拠のないことは、昭和五四年一二月一七日の実況見分の際確認されているのに、何故その後の同月二三日まで被告は同じようなことをくり返し主張したのであろうか。)。ところで右古谷は、被害車の修理費用の見積りを日産プリンス筑豊営業所にしてもらつたことを昭一から聞き知つていたので、同月二五日頃右筑豊営業所に赴き、右見積り額について問合わせた結果、被害車の右後部リヤフエンダーの損傷は本件事故後に生じたもので、本件事故とは関係のないことを知るようになつた(なお、古谷は前記のとおり被害車の写真をとつた際、右後部リヤフエンダーの損傷部分も撮影したが、右損傷が本件事故と関係ないことにつき、原告、昭一及び被告から何の説明もなかつた。)。以上の経過を経て本件事故の発生に不審感を抱いた補助参加人は、昭和五五年一月一四日本件事故の疑問点を指摘してこれを田川警察署に届出た。

6  そこで田川警察署は昭和五五年一月一九日原告及び被告を取調べたが、その際被告は司法警察員に対し、被害車が出発したところは喫茶「セイヤング」前路上であり、加害車が出発したところは被告の自宅であつて、原告と被告とは最初から別々の行動をとつており、被害車の運転者が原告であることも本件事故直後に知つたと、昭和五四年一二月一七日の実況見分時の説明とほとんど変らない供述をし、また事故の態様についても、道路右側路肩の石柱にあたりそうになつたとか、加害車と被害車の衝突は二度あつたとか、右実況見分時の説明と変らない供述をし、そして原告も、司法巡査に対し、加害車の運転者が被告であることは本件事故後にわかつたと供述しながら、一方では、被害車も加害車もともに喫茶「セイヤング」前路上から発進して、被害車が先行し加害車はそれに追随していたと供述し、また本件事故発生時、被害車が本件道路の中央線を越えていたとは思わないと弁解する一方では、加害車と被害車の衝突は二度あつたと右実況見分時の説明と変らない供述をした。そして昭和五五年三月一〇日田川警察署署庭において、原告、昭一及び被告立会のうえ、再び加害車と被害車の実況見分がなされたが、その際被告は加害車の左最前部の損傷は、本件事故発生前すでに生じていたものであると申述し、また昭一は被害車の右後部リヤフエンダーの損傷は本件事故後に生じたものであると申述した。かくして同月一四日再び田川警察署により原告及び被告の取調べがなされたが、その際被告は、司法警察員に対し、先に加害車の出発点を自宅と述べたのを、喫茶「セイヤング」前路上に訂正し、また加害車の左最前部の損傷は本件事故発生前すでに生じていたもので、従つて加害車と被害車の衝突は一回であつたと訂正した。また原告も司法巡査に対し、前に被害車が道路の中央線を越えていたように言つたのは、あらかじめ昭一を通じて被告から、警察の取調べがあつた場合には、被害車は道路中央線を越えて右側部分にはみ出していたと供述するように言われていたからであつて、実際は道路左側部分の中央線から約〇・五メートルのところを進行していたと供述し、さらに被害車の右後部リヤフエンダーの損傷は本件事故後に生じたもので、本件事故とは関係なく、従つて加害車と被害車が衝突したのは一回であると訂正した。

7  そこで本件道路の状況についてみると、本件道路は見通しのよい、アスフアルト舗装された直線道路であり、幅員五・一メートル(加害車の進行道路幅員は二・六メートル、被害車の進行道路幅員は二・五メートル)もあつて、車二台が余裕をもつて離合できる状態にあり(なお、被害車の幅は一・六二メートル、加害車の幅は一・六一メートルである。)、(追越しのための右側部分はみだしは禁止されているものの)先行車を追越そうとすれば、特別の事情のない限り何事もなく追越すことができる状況にある(原告も被告もそういう状況にあることを知つていたからこそ、当初被害車が中央線を越えて道路右側部分にはみ出していたと虚偽の事実を作出したのであろう。)。しかも路肩の部分は舗装こそされていないものの、舗装面とほぼ同一の高さの平地であり、また路肩の部分の幅員は一・五メートルないし二メートルもあつて、自動車の片側車輪が路肩におちても自動車の走行に何ら支障はない状況にある(なお、路肩部分にある石柱は舗装面から一メートルも外側に設置されている。

以上の事実が認められ、甲第八、第九、第一一号証、丙第三四ないし第四〇号証、第四二、第四三、第四八、第五〇、第五一号証の各記載、証人手嶋昭一の証言及び原告本人尋問(第一、二回)の結果中右認定に反する部分は採用できず、ほかに右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

以上認定の事実によれば、本件事故は、原告と被告とがあらかじめ打合わせのうえ故意に惹起した事故といわざるを得ない。

そうすると、本件事故により原告が損害を蒙つたとしても、右損害は、自己に存する不法の原因によつて生じたものであり、民法七〇八条の法の精神に鑑み、敢て保護するに値しないものといわなければならない。よつて原告の被告に対する損害賠償の請求は、その余の点について判断するまでもなく失当である。

三  以上の次第で原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用(参加によつて生じた費用を含む。)の負担につき民訴法八九条及び九四条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 桑江好謙)

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